学は人たる所以を学ぶなり ー 吉田松陰 ー

 

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」

 

学は人たる所以を学ぶなり

吉田松陰の言葉です。

 

高校時代、僕は、

倫理・政経を吉田松陰の末裔の方に学びました。

(松陰先生に子は無く、直系の子孫ではないですが)

若かった僕は、吉田松陰の末裔に学べるということが、

誇らしい気持ちも少しはあったのですが、

それよりも、

(吉田松陰の末裔なら、吉田松陰が出てくる日本史を教えればいいのに)

程度に思っている若造でした。

今となっては、

倫理、人の道、

政経、政治経済を先生に学べたことは、

僕の中で、人としての大きな糧になっていると思います。

 

学は人たる所以を学ぶなり

 

学問とは、

人とは何か、

人はどうあるべきかを学ぶ為にあるもの。

 

学問を学び、人間としての深みが増さないようであれば、

それはきっと学問を学んだのではなく、

知識を増やしただけに過ぎないのではないでしょうか。

 

昨今の教育現場では、

知識をひたすら覚えることに努め、

マニュアルを頭に叩き込み、

失敗しないように、間違うことのないように、ただそれだけを教えられる。

 

マニュアルが無ければ何も出来ない。

マニュアルが無ければ不安でたまらない。

 

について教えることはタブー視されている為、

ばかりで、

不正を平気でできる、

というより、

不正をしているという自覚すら出来てない。

側から、を見る、その視点が無いから、

人の批判はやたらするが、自分がそれを行う分には許してしまう。

というより、

批判されるべき事を自分も行っている、その客観視ができていない。

 

こういった、いわゆる知識詰め込み型の教育ばかりだから、

どうして人を殺してはいけないのですか」と問う子供が出てくるのだと僕は思います。

人の痛みについてさえ、マニュアルで学ぼうとする。

誰かに教えて貰わないと理解できない。

 

松陰先生は、

塾生自身に講義を行わせ、塾内においての決まり事も作らず、

夜、学びたい心が起これば、夜に先生を訪ね来るも自由、

書物を読むことよりも、行動することの大切さを説かれました。

 

黒船に乗り込んだり、老中の暗殺を企てたり、

当時の常識を遥かに超えていた松陰先生。

(当然暗殺など良くないことですが、僕は松陰先生の様に大義に生きる人が

 人間を殺すなど絶対に考えないと思っています。

 先生の目的はむしろ自分自身が投獄されることにあったのではないでしょうか)

吉田松陰は長い時を経て今、偉大な人物として評価されていますが、

幕末当時は、

頭がおかしい人物、狂人、といった評価がほとんどだったと思います。

 

世の人は善し悪しごとも言わば言へ、賤が心は神ぞ知るらん

という言葉も遺されているくらいです。

誰にも理解されない苦しみ哀しみは、

今の時代を生きる真の教育者に共通のものであるように思います。

 

逆に言えば、

誰にも理解されない苦しみを感じるということは、

私の心ではなく、

客観視できている公の心を持つからこそ。

公の心を持たず、自己中心的な者には、

理解されない苦しみなど存在しないはず。

 

公の心を塾生に育て、

他者を思いやるに十分な気持ちを、塾生の中に見たからこそ松陰先生は言い放ちました。

諸君、狂いたまえ

皆に理解されない、

周りから批判されているあなたは真の教育者です。

いちいち人の言葉尻を捕らえて、批判ばかりする連中の思惑など気にする必要はない。

行動あるのみ!です。