未来を生きる子供たちへ 『星の王子さま』の読み方 1

 

レオン・ウェルトに

 

序の「レオン・ウェルトに」の部、

「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない)」

サン・テグジュペリの言葉。

 

子育てをしていると、このことを強く実感します。

 

子供だった時の自分の気持ち。

そういえば、自分もこんなこと思ってたなぁ

そうそう、これが怖くてたまらなかったっけ。

なんて。

 

子供頃の好奇心

何かに守られてる感覚

神さまがいて

おばけがいて。

ヒーローを信じ、誰かが助けを求めている時は飛んで駆けつけてくれる

いつか自分もそんな存在になりたいと心に誓い

夜になるのが怖くて

怖くてたまらず

トイレに行くときは母親に助けを求め

夜中にふと目覚めてしまった時は

母親を眠りの世界から引きずり起こし

たいして痛くもないお腹を痛いと言い

母親 「大丈夫?」

母親 「薬飲む?」

そんな愛情確認をすることで、闇に対する恐怖心を和らげるということを繰り返し

親を困らせた

 

そういえば、僕が幼稚園に通ってた頃

夜寝るときに

ザクッ、ザクッ

と毎晩必ずしてた物音

僕はそれを、誰かが死体を掘って埋めている音なのだと思い込み

そのことが夜の闇に対する恐怖心を増幅させていました

結局、その音は、長ずるにつれ、枕に自分のこめかみを当てることで聞こえる

自分の脈の音なのだと分かるのだけど

子供って、何を考えているか分からないものだと、我ながら今になって思います。

 

僕はそういった記憶が少なからずあるので

自分の子供が

カットバンはって~

おクスリぬって~、と言えば

大した傷でなくても、愛情確認をしてるんだろうなと思い

塗り貼りします。めんどいですが。。。 (*´ -`)

まぁ、めんどいけどやってくれるか

子供はそのことで愛情確認してるのでしょうけどネ。

 

小さな頃は

親も周りの大人たちも、子供が真実そのように育ってくれることを願い

あらゆることにつけ褒めてくれます

 

僕が子供のころも

大人たちは、みんな自分のことを

「○○くんはいい子だ」

「○○くんはかしこいなぁ」

と、褒めてくれる。大事にしてくれる。

だから

大人はみんな僕に対して優しいんだ

そんな風に信頼していました。

警察官はみんな、人を守るって気持ちの強い人なんだ

学校の先生も、子供のことが好きで、頭のいいひとなんだ

って。

だけど、

大きくなるにつれ、それがどうも違う事に気づく

先生がみな、平等に子供を愛しているわけではないこと。

警察官がみな弱気を助け強きをくじく、心優しきヒーローみたいな存在ではないこと。

大人の住む世界が、子供の自分に優しいだけの世界ではないこと。

時に大人たちが自分に対し、牙をむくかもしれない存在だということを

親を通し、ニュースを通し、知っていく。

 

そのうちに親から褒められることも少なくなっていき

過程を楽しむこと

何かに熱中することは否定され

テストの点、成績を、より高く、結果を出すことのみ求められるようになり

生きていてくれるだけで幸せ

そんな風に親から求められることは、なくなって。

抑圧された子供の想いは

ストレスとなり、そのストレスが横へと向かい

子供同士傷つけあい

その無力感から

この世にヒーローなどいない

自分なんかヒーローになれるわけない

と、あきらめる

子供の心を持っていれば生きづらいってことにも気づいていく

いや

子供の心を捨てるように

大人の世界が促してんだ

大人は

大人の世界を壊されたくないんだ

心優しき小さなヒーローたちに。

 

前回も書きましたが

「レオン・ウェルトに」のレオン・ウェルトとは

サン・テグジュペリの友人でナチスから迫害を受けていたユダヤ人です

当時、多くのユダヤ人が虐殺され、非道な人体実験を受けたりもしていました

親と子が引き離される

引き離されるだけではない

時に家族が目の前で暴行を受ける、残酷に殺される

このような惨いことを子供が行うでしょうか

「おとなはだれでも、もとは子どもですよね。(みんな、そのことをわすれますけど)」

この

サン・テグジュペリの言葉は、

子供たちに対しては優しく語る口調ですが

戦争を

諍い合うことを

止めようとしない大人たち対しては

痛烈な批判が込められていると、僕は思っています。

 

大人が戦争など無くなることはない

と言っているのは嘘で

真実は

大人は自分たちの今の世界を壊されたくがない為に

戦争がなくなってほしくないだけ

 

たとえば

火事が起き

今にも人が焼け死にそうで

太いホースで水をかければ、人ひとりで

すぐに火(戦争)を鎮められるのだとしても

そこに報酬を貰いたいが為、何十人もの人が集まり

無駄に時間をかけバケツリレーで火事を消そうとする(利権)

子供がホースを使って助けてあげて!と泣いて頼んでも

「いつまでも子供みたいな

 ヒーローごっこを夢見てんじゃない!

と怒鳴りつけられる

そんな納得のできない理由で怒られても

子供も自分の親にそう言われれば

順応し

長ずるにつれ、いつの間にかホースの存在さえ忘れ果て

バケツリレーの列に加わる

生活の為に

己の家族を養うために。

 

学校でいじめられ

社会に出てもいじめがあり

子供部屋にいつまでも引き籠ったまま出てこない大人がたくさんいて

 

公園で飲食店で電車内で

子供が騒げば、うるさいと怒鳴られ

ベビーカーを邪魔だと舌打ちされ

いつからこんなに住みにくい、ギスギスした社会になったのでしょう

 

重箱の隅をつつくように

細かく小さいことばかり注意され

(指摘することで)身に危険が及びかねないような大きく大事なことは誰も指摘しない

口を閉ざしたまま

無関心をきめこむ

弱いものを蹴落とし、いじめ

強いものにはペコペコ従う

 

もちろん公共の場にて他者への配慮は必要であり

子供にも教える必要はありますが

大人の世界から子供たちへ対しての

優しい目線、配慮は薄れゆくばかりです

 

僕には二人の幼い娘がいます

せめて我が子だけは

そういった配慮を忘れぬ

世の為人の為になるような人間であってほしい

 

君たちもいつか子供を産み育てる時がくるかもしれない

子育ては大事な仕事です

批判は覚悟の上ですが

このギスギスした世の中を作り出したのは

過去の多くの親たちが

子育てをおろそかにしてきたからだと僕は思ってます

子供のこころを忘れた大人たちが

大人の不寛容な世界を変えようとすることなく

無理矢理に

その大人社会に子供たちを当てはめようと

適応させようとするのは決して子育てではない

親たちも生きていくだけで精一杯で、やむを得ないのは重々承知していますが

もう少しだけでいい

子供たちに優しく寛容であってほしい

 

ちいさく細かなことはどうだっていい

大きく大事なことだけ叱ることが大事なのでは、と僕は思います

他人を傷つけるような行為に対して

自分を傷つけるような行為に対して

そんな時だけ烈火のごとく怒る!

それで十分。

どーでもいい、小さく細かなことだけを叱るから

小さく細かい人間に育つ

 

公共の場で子供が走り回って他人に迷惑をかける

というけれど

それを迷惑だと思う社会の方が不寛容

子供がなにか悪いことでもしたのでしょうか

子供はエネルギーにあふれてんだから、走り回るもの

代わりに親が謝ってやる

それが親の責任

それで十分。

大音量のスピーカーでがなり立てる右翼の街宣車

注意している大人を僕は見たことがありません

同じ車両で、やくざに女性が暴行を受けていても

誰一人、止めに入らない、そんな世の中です

強いものには寛容で

弱者には不寛容

それが大人になるということ。

 

今の時代を生きる者で

一番まともなのは子供たちです

家族を想う心

他者への思いやり

子供たちを見ていると

大人よりまともで

本当の意味で大人だと僕は常に思います

そんな子供たちを感情をコントロールできない幼い我ら大人が

大人の力で押さえつける

俺をイライラさせるな!

躾けがなってないと、俺がダメ親だと思われるだろ!

結果を出せ!

負け組になるな!

と。

時と場所が違えば

変わってしまうほど、どーでもいい大人社会のルールを

子供たちに向かい金科玉条の如く

あれはダメだの

これはダメだの

あーしろ

こーしろ・・・

親はなくても子は育ちます

純粋な子供たちの心を、

いびつに捻じ曲げてるのは我ら大人たちだ

だとすれば大人は引っ込んでたほうがいい

この世をまともにしようと思えば

僕ら大人が感情を無にし子供たちのサポートに徹することです

子ども達と同じ目線に立ち

子供たちに教えを受ける

それで

この世からあらゆる諍いは消え失せるのでは。

 

神さまがいて

お化けがいて

ヒーローを信じる

そんな子どもの心を大事にする世の中であれば

戦争などない

もっと優しい住みよい世の中になるのではないでしょうか。

 

宮沢賢治の雨ニモマケズの詩にあるように

己の力ではどうにもならないほどの苦しみを抱え

助けを求めている人がいれば

寄り添い支えてくれる

 

小さなことを成し遂げて

結果を出したと、偉そうにする人物ではなく

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

いざ

という時に助けてくれる

大事を成し遂げてくれる人物

これが本当のヒーローだと僕は思う

 

アニメや映画のように

いざ

という時はなかなか起きないから

結果を出さない

デクノボーなひとを誰もヒーローだとは気づかないだけ

僕は、そう思います

 

大人たちの言いなりになって

結果なんか出さなくていい

結果を大事にするのが大人社会

過程に熱中するのが君たち小さなヒーロー

デクノボーなヒーローでいい

ナンバーワンでなくていい

オンリーワンになろうとする必要もない

平々凡々でいい

普通が一番

 

以上、

これが

僕が「レオン・ウェルトに」

の序を読んで思う

小さなことには寛容で

大事にあたっては命をかけてみんなを助ける

そんな人物の育て方です(かなり脱線してますが。。。)

 

未来を生きる君たちへ

 

お父ちゃんはこんな想いで

君たちを育ててきました

お父ちゃんの子育て法が正しかったのか

間違ってたのか

それは君たちの判断にゆだねます(そんなこと言われても困るか?)

 

どうか子供たちの住む世界に

この世の中が

もう少しだけでもいい

寛容でありますように

 

未来の君たちの住む世界が

デクノボーなヒーローであふれる世界であることを

僕は願ってやまないです

 

星の王子さま

未来を生きる子供たちへ 『星の王子さま』の読み方 2