ユマニチュードとは
ユマニチュードとは、高齢者介護方法のひとつ。主に認知症ケアに使われるようです。幼い子供に認知症ケアというと一瞬、「ん?」と訝しく思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、僕は、認知症になられた方は決して人として異質な存在になられた訳ではないと思っています。病気ではない、決して人として衰えてしまってる訳でもない。こんな例え方をして申し訳ないですが、高機能のスマホはもう必要ないから、簡単機能のスマホに変えただけ、そう考えています。
幼い子供も当然、出来ることは大人に比べ少ないです。高機能スマホへの成長を目指している簡単スマホです。何事も上手くできません。そこを大人に対するのと同じ目線で見ていると、どうしてもイライラしてしまいます。僕も時々子供に対して、
(どうしてもっと上手くできないんだろう。。。)
(どうして理解できないんだろう。。。)
↑子供なので当然ですが、その当然の思考がいつの間にか出来なくなってしまいます。
そんなある日、目にしたNHKのユマニチュードを紹介するTV番組、これは介護だけではなく子育てにも当てはまるのではと僕は感じました。
ユマニチュードについては日本ユマニチュード学会さんのサイトに詳しく書かれていますので、そこから少し引用させてもらいます。
ユマニチュードはフランスの二人の体育学の専門家イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティが開発したケアの技法です。
(中略)
ケアの現場で彼らがまず気がついたのは、専門職が「何でもやってあげている」ということでした。たとえば、立てる力があるのに寝たままで清拭をしたり、歩く能力のある人にも車椅子での移動を勧めたり、といったことです。二人は本人が持っている能力をできる限り使ってもらうことで、その人の健康を向上させたり、維持することができると考え、「その人のもつ能力を奪わない」ための様々な工夫を重ねながら現場でケアを実践していきました。
この部分、子育てに関しても同じですよね。子供がぎこちない動作で何かをやろうとする時、大人はついつい手を口を出してしまいがち。「何でもやってあげない」ことがとても大事だと思います。子供たちが持つ無限の可能性を大人が信じてやることで、子供たちはその無限の可能性を発揮します。「子供たちがもつ無限の可能性を奪わない」こと、それが大事。
ユマニチュード 4つの接し方
ユマニチュードには「見る技術」、「話す技術」、「触れる技術」、「立つ技術」の4つの技術があります。これら4つの技術を再度、日本ユマニチュード学会さんのサイトからそれぞれ引用させてもらいますが、最後の方に書かれています5つのスッテプ、これについて子育てにおいては必要ないように思いますので割愛させていただきます。
見る技術
私たちが相手を見る時、多くの場合仕事の対象部位を見ています。たとえば口腔ケアのために口の中を見る、といったように。しかし、「見る」ことで相手を大切に思っていることを伝えるためには、仕事のための「見る」つまり手技に必要な視覚情報を得るだけでは十分ではありません。「見る」ことが伝える言葉によらないメッセージは、たとえば同じ目の高さで見ることで「平等な存在であること」、近くから見ることで「親しい関係であること」、正面から見ることで「相手に対して正直であること」を相手に伝えています。逆に、ベッドサイドで寝ている人に立って話しかけるとき、そんなつもりはなくても見下ろすことで「私のほうがあなたより強い」という非言語の否定的メッセージが届いてしまいます。
昔の大人はそうではなかったかもしれませんが、現代の大人が他人の子供に対する時、ちゃんと同じ目の高さで話すようにするのがほとんどだと思います。が、我が子となるとどうでしょう。ぞんざいになってはいないでしょうか。介護の「仕事」として行うとどうしても義務的になりがちなのと同じように、子育てにおいてもいつのまにか、なあなあになってしまいます。例えば、子供が寝そべっているとこへ、邪魔だなと思いながら何も言わず跨いで行くとか、子供の大切にしているオモチャを放り投げるとかです。
大事なのはひとりの人として認めてあげること。人は自分が思うような人になる。一人前と認めてあげれば一人前に、良い子と認めてあげれば良い子に、悪い子と思えば悪い子に。我が子とはいえ、できるだけ常に同じ目の高さで接するように意識することで同じ人として認められていることが言外に伝わり、いつまでも子供なのではなく、同じ人として成長してくれるものだと思います。
我が子に対してそこまでする必要があるのかは、 介護の仕事においてそこまで丁寧にする必要があると思うかどうかと同じで、人それぞれの考え方、やり方でいいのではないでしょうか。我が子とはいえ、できるだけ心を込めて接してあげることで、子供も、自分は大事にされていると実感できるのではと僕は考えます。
話す技術
ケアをする時には「じっとしていてください」「すぐ終わります」などの言葉を発しがちですが、このような言葉にはそんなつもりはなくても「私はあなたに命令しています」「あなたにとって不快なことを行なっています」というメッセージが言外に含まれてしまっています。これでは相手に優しさを届けることはできません。「話す」ときも仕事のための「話す」ことだけではなく、相手のことを大切に思っていると伝えるための技術を用います。低めの声は「安定した関係」を、大きすぎない声は「穏やかな状況」を、前向きな言葉を選ぶことで「心地よい状態」を実現することができます。また、相手から返事がない時には、私たちは次第に黙ってしまいます。無言の状況は「あなたは存在していない」と伝える否定的メッセージとなるため、ケアの場に言葉をあふれさせる工夫として、ユマニチュードでは自分が行なっているケアの動きを前向きな語彙で実況する「オートフィードバック」という方法を用います。
ここに書かれている言外に伝わるメッセージというものはとても大事だと思います。子供だから分からないだろうと、子供の前で大人同士の下世話な会話をしたり、ついつい子供に対してキツイ言い方になってしまいがちですが、そうした時、子供は自分が大事にされてないと感じてしまうからです。
悪口を言い合ってる大人と、それを一人聞かされてる自分。意味が分からないだろうと思われている自分。子供は疎外感を感じ大人の世界の仲間入りをしようと悪口を使い始めます。その刺激的な言葉は子供から子供へと伝わり、人を大事にしないという言外のメッセージが拡がっていきます。
キツイ言葉、感情的な言い方が良くないのは、まず、大切に想う人にそのような言い方はしないからです。それと感情的に叱ると必ず矛盾が出てきます。皆さんも会社の人間関係で経験があるのではないでしょうか。上司に怒られたので言われた通りにしていると、言われた通りにしてるのにそのことでまた怒られたり。要はやり方を正して欲しいのではなく、部下のぎこちない動きや態度が気に入らないだけなのです。子供の場合も同じです。感情的に叱ることで起こるその矛盾から、正しいやり方がわからなくなり、自分からは動けなくなる子、いわゆる「指示待ち」の子になってしまったり、大人と同じように感情的に反発する子になってしまうのではないでしょうか。
我が子とはいえ、言葉のチョイス、声のトーンに気を遣ってあげる。何も話すことが無い時は鼻歌を唄うことで自分の今の感情を伝える。そうすることで自分は大切にされてると子供も実感してくれるのだと思います。
触れる技術
ケアを行う時、たとえば着替え、歩行介助などで私たちは必ず相手に触れていますが、その時相手をつかんでいることに私たちは無自覚です。つかむ行為は相手の自由を奪っていることを意味し、認知症行動心理症状のきっかけとなってしまうこともよくあります。触れることも相手へのメッセージであり、相手を大切に思っていることを伝えるための技術を用います。具体的には、「広い面積で触れる」、「つかまない」、「ゆっくりと手を動かす」ことなどによって優しさを伝えることができます。触れる場所もコミュニケーションの重要な要素です。できるだけ鈍感な場所(たとえば背中、肩、ふくらはぎなど)から触れ始め、次第により敏感な場所(たとえば手、顔など)に進みます。
子育てにおいて「触れる技術」を使う場面は、おむつ替え、着替え、お風呂で身体を洗ってあげる時でしょうか。ここで多くを語ることは、「おむつ替え、着替えなんてそもそもやってないじゃん!」と妻を怒らせる原因ともなりかねませんのでサッと済ませます。
(*´ -`)
ごめんなさい。
要はできるだけ痛くしない、優しく触れることで子供に対して大事に思ってることを伝えるということだと思います。ギューっと抱きしめてあげることで愛情を伝える。抱っこで。おんぶで。
YouTuber保育士のてぃ先生も言われてましたが、ついつい感情的に叱ってしまいがちな時は、抱きしめながら叱るとこちらの感情も高ぶらず効果的なようです。愛情を伝える時に抱きしめるのだから、まず先にその形をとりながら叱ることで感情的にもならないということだと思います。僕も感情的に子供を叱ってしまった時、感情的に叱ってしまったからこそでしょうか。子供が、怒らないでお父さん、という感じで泣きながら「ぎゅーってしてー」と寄ってきてもなかなか受け入れ難い時があります。いい大人が情けないですが。。。そういう場合は自分の感情はまず抑えつけといてでも、たとえ子供の行動に納得いかなくても、とりあえず先に抱きしめてあげて、それから叱るようにしています。
4つめの技術、「立つ技術」は子育てにおいては外でよく遊ばせてあげる、一緒にお散歩するということで成り立つと思います。身体が健康であれば、子供の心も元気です。子供時代の健康の土台づくりは大人が見守ってあげる必要があるように思います。であるならば、脳で遊ぶスマホのゲームよりも外で身体を使って遊ばせてあげた方が身体を丈夫にできます。
うちの子もスマホが大好きです。本来なら幼いうちからスマホを使わせるべきではないのでしょうが、現代においてそれは不可能にちかいように思います。常に親がスマホをいじっているのを子供は見ています。また核家族化が進み、いわゆるワンオペをされてる親御さんたちにとってスマホは大事な育児ツールだと思います。
あくまでも僕の考えですが、スマホによる育児は賛成です。が、使わせ方には気を遣ってあげるべきだと思います。できるだけ親と子、一緒に使う。一緒になって話ながら。子供だけでスマホを使わせた場合はその後にできるだけ外で一緒に遊ぶ、それが不可能ならば、ひとりにしておいた分の愛情を自分なりの方法で伝える、ということが大事になってくるんじゃないでしょうか。
子育てにおいて大切なこと
ユマニチュードについて紹介させていただきましたが、大事なことは子供に対する時だけでなく大人に対している時でも、自分の思っていることは必ず相手に伝わるということです。言葉の端々に。何気ない動作に。自分の心拍数も。
自分は子供のことを大事に想っている、自分は大事に想われながら育った、それだけで十分ではないでしょうか。
ユマニチュードの技術を紹介させてもらっておきながら恐縮ですが、そこさえ踏まえておけば、子育てに技術は必要ない。テクニックなんか要らない。子供を大事に想っていることが自分なりの見方、話し方等の技術へとなるからです。
相子供のことを大事に想う。究極、子育てはそれだけでいい。僕はそう思っています。
子供のことを大事に想う。それが子供に伝わる。それだけで子供は立派な大人に育っていくと思う。自分のしつけは間違ってるのでは、とか、自分は甘やかしすぎなのでは、とか心配は必要ない。大事に想ってさえいれば、しつけが間違ってても、甘やかしすぎても、厳しすぎても、思わず感情的に叱ってしまう日々であっても、必ず子供は立派な大人に育ってくれます。厳しく育てられたあなたも、甘やかされて育ったあなたも、あなたも私もじゅうぶん立派な大人になってるではないですか。だから大丈夫です。
(↑ 自分に言い聞かせてます (*´ -`) )